自分は宇宙の大生命=宇宙霊である

中村天風先生は、「自分は肉体でもない、心でもないという心持ちが、信念にならなければいけない」と強調されています。そして、次のように言われています。

水道の蛇口をひねると水が出る。

しかし、蛇口から水が出たから、蛇口が水を作ったという人はいないでしょう。

肉体も同じことで、肉体が命を作ってくれたんじゃないんです。

肉体は自己そのものではなく、自分の命の付属物、命が生きる道具なのです。

本当の自分とは生命である。自分の個という生命は、大宇宙の生命、すなわち宇宙霊と通じているのだ。

以上、「心に成功の炎を」を参考にしました。

「自分は宇宙霊と一体だという、この信念をもたなければならない」(「盛大なる人生」)

天風先生は悟りにおいて、この一体感を掴み取られたのです。

人間は孤独なのではない。天風先生は、この一体感を「不孤(こならず)」と呼びました。

病になろうと、不運な目に遭おうと、自分一人で立ち向かっているのではない。宇宙霊という計り知れない力がバックアップしてくれているというのです。

「自分の生命の背後には、見えないけれど宇宙霊が、自分を抱きしめるように、自分と共にあるのだ!」(「運命を拓く」)

と信念を持って生きるとき、孤独感は吹き飛んでしまいます。

決して孤独なのではない。バックアップしてくれている力を信じて生きる、これが天風先生の信念となっているのです。

以上、池田光氏「中村天風 自分に奇跡を起こせ!」(三笠書房)を参考にしました。

以前、「蛇口は水ではない」というテーマで日記を書いたことがあります。天風先生のお考えに関連して、再び紹介します。

笑い話かもしれませんが、約50年前、1964年、東京オリンピックが行われていた頃、

アフリカの未開の国から来た選手で、日本では水を蛇口からドンドン出しているのを見て、蛇口を一杯買って帰った男があったという話があったようです。

蛇口は水ではなく、水の出口だということを知らなかったのですね。

蛇口から水が出るまでには、海の水が蒸発して雲ができ、その雲から雨が降り、川の水となり、それが貯水池で貯えられて、浄水場へ行き、上水道管からパイプを通ってはじめて、蛇口から出てくるのです。

水は蛇口ではなく、天地とともにあるのが水なのです。

そして、雨となって地球に降った水は、もともとは大海から生まれたにもかかわらず、山岳の小さな小さな川の源となり、そこから、あるいは谷、あるいは平野、砂漠を通って大きくなり、大河となります。

その間、途中の人間、動物、植物、鉱物など全てのもののために奉仕し、自分を捨ててその水としての義務を果たします

そして最後に自分の母なる大海に流れ込み、大海と一つになるのです。

私たちは肉体をもち、強い自我意識を持ちます。そのため感覚器官からの刺激が余りにも強すぎます。

そのため、どうしても感覚的な判断になりやすく、この肉体を自分自身と思いがちになります。 そして、自分の関心の全てがこの肉体としての「我」の満足となりやすい。

しかし、蛇口が水ではないように、このちっぽけな肉体が人間の本質=生命ではないということです。

不生不滅、不垢不浄、不増不減そのままで完全で完璧な宇宙の大生命そのものなのではないでしょうか。

天地をつらぬく大生命が、私として、今、ここに、現れているのです。

夜空にきらめく無数の明星、この天体を秩序整然と運行するパワー=いのち。

「いのち」・・・・とんでもない、そしてものすごい智慧・善・真・愛・美・調和・進化・歓喜・富・徹底した利他・・・・。

この「いのち」が私であり、あなたではないでしようか。

そして、この大生命である私は、この世に生まれてきて、今、ここに生きています。